明治になると福岡藩(当時の名称)の法律が変わり、石炭を採ることが自由になった。石炭事業を始めようとする人たちが若松にやってきて人口が激増したが、一方で競争も起きて石炭の品質や価格が混乱をきたした。あわてて福岡藩は動き出す。若松の石炭への信頼を取り戻すため、若松港同盟石炭問屋組合が創設されたのだ。この組合には個人はもちろん、三井物産や古河鉱業といった企業も参加することになる。

そんな経緯を経て若松石炭商同業組合事務所が完成する。それが現存する若松最古の洋風建築物、今の「石炭会館」である。

当時は今よりも外観・内装ともに華やかだった。組合員はもちろんそれ以外の若松の人たちが集い、紳士淑女が楽しむ社交場として利用された。外からの客を迎える迎賓館としての一面も持っていたという。

石造りに見えるが木の石炭会館。

明治の人たちは、石炭産業によって生活を営みつつ、この建物の中で仕事の疲れを癒していたのだろう。今も趣のある建物だ。玄関、円柱、階段…ひとつひとつをじっくりと見ていると、遠い昔の出来事が、最近のことのように思えてきて不思議だった。

※1階玄関ホールのみ見学可能。

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