「ねぇ、あなたが見たいのは表の顔?それとも裏の顔?」

背後にそびえ立つ巨大な駅ビル。「ビッグブラザーはあなたを見ている」そう言わんばかりの背景から逃れるように灯るネオンの光。そのアンダーグラウンドこそサイバーパンク。人はだれもが秘密結社を持っている。その仲間たちと会うためにあえてこの場所を選び、盃を交わす。そんな乾杯の音がきらめいている。右から、左から、背後から。夜の宝石のような音がこぼれる路地裏に迷い込むと広島駅のもうひとつの顔が見えてくる。その表情に魅せられたなら、きっと人生でいちばん長い夜をまたにかけたハシゴ酒となるだろう──

もしも、夜の街にいく宛がないのなら駅の西側へと歩いてみてほしい。そこには、高架下の町を埋め尽くすようにして並んだ、賑やかな酒場の数々が灯りを灯して待っている。そこは、広島駅の西側に広がる飲食店エリア『エキニシ』の路地。いまでこそ、広島におけるハシゴ酒の聖地のようになっているこの土地も、はじまりは数軒の飲食店だった。戦後の闇市から一度は賑わいを取り戻すも、再び活気を失っていたこの町。再び人々から愛され、食事を楽しみに多くの人が訪れるようになったのはなぜか。町の変化を見てきたリカーショップ『佐久間酒店』の佐久間さんが町の歴史を教えてくれる。

佐久間さんいわく、町が変わるきっかけとなった店の一軒が、線路沿いの路地にあるという。案内してもらった店は『おでん酒家KOH』。エキニシが飲み屋街として盛り上がる前夜に店を開いたうちの1軒だ。「このエリアに人が来るはずがない」と周囲の人々に反対されながらも、営業を続けてきた『KOH』。暗い通りの中でひたすらに店を開け、客を待つ姿を見ていた広島の飲食人たちは、次第に「自分たちもここで、やりたい店を」と後を追いはじめる。元来、乗降客数自体は多いはずの広島の主要駅。古くからある長屋を改装し、風情ある飲食店をつくるカルチャーが少しずつ広がっていくうちに、仕事帰りのサラリーマンや若い観光客を中心に、夜の遊び場へと成長していった。

1階が商店、2階が住居という昔ながらの商店建築のありかたも、このエキニシエリアの店の個性。たとえば、カウンターで店主と話し込むような1階と、座敷やテーブルを囲んで仲間と話し込む2階。階を変えるだけで、店での過ごし方が変わる。そんな店の数々が、いくつもの路地を埋め尽くすように扉を開いている。今や、「飲みにいくならエキニシ」が広島人の共通認識となった。

取材を終え、そのまま店で打ち上げをさせてもらったのが11月の初頭。それから数日が経った頃、エキニシエリアの火事のニュースが入ってきた。木造家屋の長屋が連なる町の性質上、過去にも火事が起きたことはあるという。ただ、その度にエキニシエリアを愛する人々が町に再訪し、支えてきた。過去の火事でも息を吹き返してきた。今回もそうであることを願うしかない。

賑わう店々の灯りが、町に人と店を呼ぶ。きっとこれからも、その町のあり方は変わらないだろう。

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