聞こえてきた明るい音楽は、横川エリアを盛り上げるべく活動する市民団体『カンパイ王国』のテーマソング。
外食をきっかけに街を盛り上げよう。そんな声は全国各地に上がるけれど、横川の町が変わっているのは、町の人々が予想以上に「ノリ気」であることだ。春には20年以上もの歴史を誇る「ふしぎ市」が、夏にはリバーサイドで開かれる涼しげなお祭り「ガワフェス」が、秋にはハロウィンにかこつけた町の人々が思い思いの仮装をして町を闊歩する「横川ゾンビナイト」が。そんな、市民の声から生まれたイベントで一年が埋め尽くされる横川の町。
なぜ、こんなにも多様なイベントが混在しているのか。横川商店街振興組合の理事長・村上さんに話を聞くと、その背景にはサブカルチャーを愛する人々の活動の歴史があったという。
きっかけになったのは、映画館『横川シネマ』。1999年に現在の支配人・溝口さんがリニューアルオープンさせたこの映画館が、若い市民が町に関わるきっかけを作った。当時から、溝口さんのセレクトによる国内外のインディペンデントな映画作品を上映していた横川シネマ。大作ばかりではなく、小規模でも良質な作品を上映していた映画館に、当時できたばかりだった広島市立大学芸術学部の学生たちが通うようになる。彼らが「自分たちの作った映画を上映してほしい」と溝口さんに伝えたのも、自然な成り行きだったのかもしれない。彼らの映画が上映されると、多くの若者が通りを歩いた。当時の商店街の面々は、「この町に、こんなに若者が来るなんて」と驚いたという。
その後も、映画だけでなくさまざまなカルチャーを受け入れる舞台となっていった横川シネマ。支配人の溝口さんは、「ありえない瞬間を何度も見てきた」と話す。
当時はまだ今のように小さなライブハウスすらもなかった広島の町。音楽好きの人々は、自分たちの愛するマイナーなバンドを生で見ることなど、ましてや地元で見ることなどは夢にも思っていなかったかもしれない。そんななかで、町にいたカルチャー好きが横川シネマの存在に気づいていく。
「どうしても、このアーティストに広島に来てほしい」。そう情熱的に語るファンの人々に頼み込まれ、ライブ会場として劇場を貸したことが何度もあった。その時にやってきたのは、奇妙礼太郎やビートクルセイダーズなど、いまやカルチャーシーンで愛される音楽家たち。次第に、「ただの映画館ではない」と人々から注目されるようになっていった。
横川シネマという町との接点を見つけた若者たちは次第に、近くにある商店街とも関わるようになった。時を同じくして、JR横川駅前の改装計画と、「日本初の国産バス」の復元計画がはじまる。
横川の町の誇りとも言える国産バスをより多くの人に知ってもらうべく、声がかかったのはかつて自主制作映画を横川シネマで上映した映画監督・神酒大亮氏。低予算ながら生み出された、横川を舞台とした60分間の映画は横川シネマでロングラン上映され、老若男女およそ3500人以上の人々が映画館を訪れた。
自分たちから主体的に町に関わり、文化を作り出していく。そんな若者たちの楽しみを間近で見ていた町の人々にとって、「イベントをつくり、自分たちで盛り上げる」ことが身近な文化になっていった。そこには、自分の好きな文化を持ち込む人々と、そんな人々を受け入れる人々の多様性があった。思い思いの姿形に仮装して、町を練り歩く「ハロウィン・ナイト」が続いていることも、「カルチャーに参加して楽しむこと」が町の当たり前になっている証拠だろう。
最後に、村上さんが教えてくれた。「このあたりはかつて、城が洪水被害に遭わないためにあえて川の水を氾濫させる遊水地だった。400年もの長い間、官に見放されている間に、インディペンデントな精神と共助の文化が育ったんじゃないか」。このまちで暮らす人々は、いい意味で勝手なのだ。
誰かが好きにつくった文化が、次の誰かに影響を与える、そうしてつながっていくものが横川の町のカルチャーになる。