過去や未来、 そしてifの風景を 想像して見る

左右対称、幾何学模様。これがフランス式庭園の特徴だ。ここでいえば、左右対称のプラタナス並木と、幾何学模様のバラ花壇。その先に門が見えるだろうか。実はこれが「正門」である。現在は使われていないが、正門からはいれば、新宿門からはいるのに比べて、まったく違った印象を受けるだろう。たとえば、それはヴェルサイユ宮殿のような驚きであったかもしれない。というのも、灰色の砂利の部分。このあたりは新宿御苑の中でも不自然なほどだだっ広い。それはなぜか。はじめは、ここに宮殿を建てるプランがあったのだ。しかし、おそらくは予算の問題だろう。結局、建てられることはなかった。バラ花壇についても、噴水をつくる予定があった。想像してみよう。ここに宮殿や噴水があったなら、新宿御苑の風景は一変する。

新宿御苑の立役者と呼ばれる人物がいる。「福羽逸人」だ。明治10年、彼は20歳にして内藤新宿試験場の実習生となる。当時の日本にはなかったブドウ栽培、ワイン醸造などを成功させて、ヨーロッパに3年間留学。農業や造園を学ぶ。帰国後、新宿御苑の温室や自宅でも多種多様な植物を育てはじめる。若干35歳にして指導者的な存在になり、明治31年、41歳で新宿御苑の総責任者に。メロン、イチゴ、オイルサーディンなどの缶詰、ジャムやゼリーの試作まで目覚ましい成果をあげつつ、皇室の庭園づくりに奔走。明治33年のパリ万博を訪れた際に、庭園の設計をフランスの専門家「アンリ・マルチネー」に依頼した。その設計図をもとに福羽が手を加えつつ、明治39年に大庭園を完成させた。教科書に出てくる人物ではないが、この場所に欠かせなかった人物として語り継がれている。ああ、と微かな嫉妬を覚える。そのエピソードだけで、好きで好きでたまらない仕事に打ちこんできた姿が目に浮かんでくる。そういう人でありたい、そう思わずにはいられない。彼の目にはこの場所がどう映っていたのだろうか。

Next Contents

Select language