およそ100年前に菊水楼を訪れた「東郷平八郎」によって書かれた書。
当時の東郷平八郎は海軍の高い地位にあり、雲の上の存在。菊水楼は宿泊代を戴くこともなく「ご招待させていただく」という形をとっていた。そこで、東郷平八郎は「心ばかりで」という気持ちで書をしたため、菊水楼に贈り物をしたのではないか、と想像できる。
そんな贈り物に書かれていたのは「菊水の如し」という言葉。一体、どういう意味なのか。100年前のスタッフは書いた本人に尋ねてみたかったはずだが、当然、声をかけられるような存在ではなかった。だからこそ、現在のスタッフもまた、その謎と向き合うことになる。
菊水とは何か。さかのぼると中国の故事に「菊水伝説」というものがある。とある川の源流には菊の群生地があり、その川の水を飲んでいた村人たちがみな驚くほど長寿であった。その話が奈良時代、平安時代の日本の貴族に伝わって憧れの的となり、まるで桃源郷のように歌われるようになるのだが、東郷平八郎は「菊水楼で過ごした時間がそれほど豊かな時間だった」という喩えで「菊水の如し」と記したのではないか。そう考えることもできるのだが、定かではない。
この書は昔から正面玄関に掲げられていて、お客さんを一緒にお出迎えしてくれるような存在。いつまでも「菊水の如し」でいられるか。毎日のように見上げるスタッフは身が引き締まる思いがするという。ある意味では書が襷となって受け継がれ、これから100年後の次の次の世代までも引き継がれていくことだろう。
東郷平八郎がそのような存在の書になることを見越して贈っていたのだとすれば、とてつもない人物だと思わずにいられないが、あらためて、この書と向き合ってみるとどうだろう。軍人らしい厳かで空気が張りつめるような佇まいでありながら、丸みを帯びた字体には柔和なやわらかさも感じられる。人柄がそのままあらわれているようにも思えるが、あなたはどう思うだろう。東郷平八郎の人柄や、この書を贈った意味について想像してみてほしい。
※署名に「丁未春」とあることから1907年の春に書かれた書であることがわかる。日露戦争で東郷平八郎がバルチック艦隊に勝利したのが1905年、それらの功労により伯爵の地位を得たのが1907年であることから、東郷平八郎が世界に名を轟かせた頃にあたる。