水堀にかかる橋を渡り、太鼓門を見上げる。この先は、本丸と呼ばれる城の中心部へ続いている。権威ある城の入り口で、まずは松代と真田家のはじまりの物語を紹介したい。
江戸時代のはじめから明治時代まで、松代の地は十代にわたって真田家が治めていた。初代藩主の名は、真田信之。戦国時代、その強さから「日ノ本一の兵」と呼ばれた武将、真田幸村(真田信繁)の兄にあたる。
信之と幸村をめぐっては、こんな逸話が残っている。1600年、関ヶ原の戦いの頃のことだ。兄弟とその父親は、徳川家康率いる東軍の号令を受け、西軍を倒すべく動いていた。しかしその道中、西軍から「我が軍の味方になり、家康を討て」と密書が届く。当時は、激しい戦が続いていた戦国時代。生き残りをかけて寝返ったり、戦略的に気に入らない者に仕えたりすることは当たり前だった。
家康にいい印象を抱いていなかった幸村たちは、この誘いに乗ることを決める。頭を悩ませたのが信之だ。信之は家康にさまざまな恩があり、徳川家の養女を妻に迎えている。どちらにつくべきか……議論の末、彼らが出した結論は、真田家を二つに分けることだった。信之は家康のいる東軍に、幸村たちは西軍につくことを決めたのだ。
一筋の川の流れを二つに分ければ、どちらかが途絶えても、もう片方は遠くまで続いていく。この決断は、どちらが勝っても真田家を存続させていくための究極の選択だった。
関ヶ原の戦いでは、東軍が勝利した。時代が大きく動いていく中、信之は松代藩主としてこの地を治めることを命じられる。それから明治時代までの約250年間、松代は真田の土地だった。信之は、途切れることなく続く松代真田家の源流となったのだ。