千曲川が遠くを流れる理由

真田信之が松代を治めてから、城の中枢を担っていたのが本丸だ。今は何もない空間が広がっているが、かつてはここで日々の政治や、藩主の生活が営まれていた。

太鼓門を背にして前方左側には、ひときわ大きな石垣がある。石垣にのぼって、市街地の広がる北側に目を向けてほしい。視線の先には千曲川が流れているのだが、この川は、以前は城のすぐ北側を流れていたという。川があれば、その方角から敵が攻め込むことはできない。いわば天然の障壁として利用していたのだ。

ではなぜ、今は遠くにあるのか。それは、流れの激しい千曲川が何度も氾濫し、城が被害を受けたため。江戸時代の半ばには大洪水が起き、藩主が本丸から船に乗って脱出したという記録が残っている。その時は、城下一帯が水に沈んだという。

水害を免れるために、その後には千曲川の流れを付け替え、本丸の機能を花の丸に移転している。松代は水とともにある街だが、その歴史は水との戦いの歴史でもあった。

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