水害と争いを免れるために

現在は住宅地となっているこの一帯。石碑が立つのは、かつて花の丸御殿があった場所だ。花の丸は、相次ぐ水害を免れるために本丸の機能が移転された場所。江戸時代の途中からは、藩主はここで政治や生活を行っていた。

土塁や千曲川による天然の水堀、三日月堀などで守りを固めていた松代城だが、花の丸にはそうした防御機能はなかったという。大事な城の中枢を移転するというのに、どうしてだろう。

それは、当時が戦のない江戸時代だったことと関係している。平和な時代に、強固な防御機能は必要ない。それどころか、あまり守りを固めすぎていると、幕府への叛逆を企てているのではないか? と目をつけられてしまうこともあった。敵意がないことを示すことが、最大の防御だったのだ。平和な時代には平和な時代の、切り抜け方があった。

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