川を広げ、船を通すことを夢見た家臣

旧樋口家住宅と同じ、玄関と門が斜めになった住宅。松代藩の中級武士だった、横田家の住宅だ。

横田家は江戸時代、千曲川の川幅を広げることで船が通れるようにする工事を進めたとされる。船が通れば、松代は貿易でもっと栄えると考えたのだ。私財まで投入した一大事業だったが、途中で江戸幕府から中止命令が出て、未完に終わってしまったという。船を通す夢は叶わなかったものの、自腹を切ってまで事業を進める家臣がいたことは、それだけ松代藩が良い政治を行なっていたことを感じさせる。

明治時代になると、横田家はその娘の存在によって広く知られることになる。彼女は15歳で政府が運営する官営の富岡製糸場に勤め、技術を習得したのちに帰郷。松代で民間の製糸場の創業に関わり、技術の指導にも関与した。

横田家は他にも、最高裁判所長官、鉄道大臣など、幕末から明治にかけて数多くの人材を輩出している。そこには、人材育成に力を入れた松代の風土も関係しているのかもしれない。

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