厳しい自然が際立たせるもの

角を立てて威嚇の姿勢を取る狛犬を通り過ぎ、急な石段をのぼると、いよいよ戸隠神社の奥社に到達する。

奥社が建つのは、険しい戸隠山の岩壁の真下。山頂に目を向けようとすると、自然と首が上を向き、仰ぎ見るかたちになる。すると、ギザギザとした山の姿が、これまで以上に大きく見えてくる。

宝光社でも説明した通り、戸隠神社は明治以前、「顕光寺」という寺だった。善光寺とも似た響きだが、光が顕れる寺、と書く。名前の由来は、戸隠山を開山した学問という修験者にある。学問はある日の夜、飯縄山から金の杖を投げたという。杖はまだ名もない山だった戸隠山のある洞窟に届き、闇夜に明るい光を放った。そのできごとから顕光寺と名付けられたという。

光が、顕れる。そう聞くと、天の岩戸伝説の物語を思い出す。奥社の祭神は、天の岩戸を引き開け、この地へと投げ飛ばした神様だ。その名は、タヂカラオ(天手力雄命)。学問の伝説と天の岩戸伝説に明確な関連性はないというので、ただの偶然かもしれない。それでも、信仰のイメージが重なるのは、その根源がどこかつながっているからではないか。

戸隠山の冬は厳しく、人を寄せ付けない。現在、冬になると奥社は閉鎖され、神々は雪解けの頃まで中社に祀られる。奥社の社殿が頑丈なコンクリート造なのは、雪崩で潰されないようにするためだ。奥社はこの社殿ができる以前、雪崩によって度重なる被害を受けてきた。

本来、寺社は自然災害の被害をなるべく受けないところに建てられるものだ。今でも奥社が厳しい自然の中にあり続けていることは、ここがそれだけ特別な修験の地であることを際立たせている。

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