奥社より一段低いところに祀られているのが、九頭龍社。祭神は九つの頭を持つ龍、九頭龍である。九頭龍は、奥社の神様よりも昔から戸隠の神様として祀られていた。
奥社では、学問行者が杖を投げて光を放ったという伝説を紹介した。伝説には、まだ続きがある。それこそが、ここ九頭龍社の物語だ。
光を放つ杖のもとへ向かった学問がお経を読み上げると、地の底からたくさんの仏様の像が湧き出してきたのだという。それでも学問が読経を止めずにいると、どこからか九つの頭を持つ巨大な蛇が姿を現した。蛇はかつてこの山を守っていた僧だったが、仏様の道具を粗末に扱ったことで恐ろしい蛇の姿となってしまった。蛇は強い邪気で人に災いをなす存在だったが、学問行者のお経のおかげで心が穏やかになったと話す。この恩に報いるため、蛇は永久にこの場所を守ることを誓ったという。九頭龍神の誕生である。話を終えると、九頭龍は自身の洞窟に、戸を閉ざしてこもった。そのため、その後人前に姿を現すことはないと伝わっている。
この伝承は室町時代に記されたものだが、時代によっても九頭龍の性質は異なるようだ。もともとは恐ろしい山の神として崇められていたが、時代がくだるにつれて修験者に力を与える神様となり、江戸時代には水と農業を司る神としての性格を強めていった。
水は、命の源だ。時には豪雨や雪崩のような被害をもたらすが、なければ作物は育たず、人も、動物も生きられない。だからこそ、人は無事に水の恵みがもたらされるよう祈り続けたのだろう。その祈りが、信仰を強めていった。
神話や伝説があっても、誰も耳を傾けなければ廃れていく。信仰の地下水脈を流れていたのは、人の祈りだった。ここまでの道のりで、いくつもの物語に触れた。それらが重なり合い、今の戸隠をかたちづくっている。その地層の上に、こうして立っている。