江戸幕府、真田松代藩との意外な関わり

忍者の起源は、山岳地帯で修行に励む修験者たちという説が有力だ。戸隠にも、現代まで受け継がれる代表的な忍法の流派の一つ、戸隠流忍法がある。戸隠流忍法資料館では、その忍者の由来や道具が展示されている。

戸隠で忍法が発達したのは、江戸幕府の徳川家による保護があったからという説がある。戸隠の南には、真田家が治めた松代藩があった。平和な江戸時代とはいえ、過去の合戦で真田家に何度も苦しめられた徳川としては、その存在は気にかかる。そこで、松代から適度に離れた場所にある戸隠の忍者に、その動向を探らせる役割を負わせたのだ。

さらに戸隠の東側には、北国街道も通っている。加賀百万石の前田家が参勤交代で通り、佐渡金山から金が運ばれるこの道は、幕府が目を離せない重要な街道だったに違いない。こうしたことも、戸隠忍者が活躍した理由だったようだ。

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