もう一つの「牛にひかれて善光寺参り」

表参道の坂道は「袖引き坂」と呼ばれているが、昔は「布引き坂」と呼ぶ人もいた。それはここに、布引き観音のお堂があったことに由来する。お堂は善光寺地震で失われてしまったが、こんな話が残っている。「牛にひかれて善光寺参り」のもう一つの物語だ。

善光寺から離れた村に、仏教を信じない女が住んでいた。女が白い布を洗っていたら、牛が布を引っ掛けて走り去ってしまったので、必死に追いかけた。ここまでは、どちらもほとんど同じ。もう一つの物語は、善光寺に着いてからが違う。

女が本堂に着いたのはちょうど日が暮れた頃。これから「おこもり」がはじまるところだったそうだ。おこもりとは、参拝者が本堂にこもって夜通し念仏を唱えること。善光寺参りをした人は、当時はおこもりをするのが慣例だった。

たくさんの人が本堂に入っていく。つられて女も足を踏み入れた。そこにいたのは、あふれんばかりの人たち。その数に驚いていると、突然「ナムアミダブツ」の大合唱がこだました。響きに圧倒された女は、おずおずとナムアミダブツを唱えてみる。仏教を信じなかった女の、はじめての念仏だ。そのうち、女は心にありがたい気持ちが湧き上がるのを感じた。そしてお参りをしなかった自分を恥じ、これからは仏様を信じようと誓った。

女は、清々しい気持ちで朝を迎えた。昨日は牛を追いかけて走った参道を、ゆっくりと歩きながら帰る。布引き坂に差し掛かったところで、女は小さなお堂を見つけた。せっかくだからお参りしていこう。そうして女がお堂へ向かうと、そこには牛が持ち去ったあの白い布があった。

「これはきっと、仏様の導きに違いない」。女はその時、尼になることを決めた。出家した女はこのお堂のそばに移り住み、最後まで仏様にお仕えしたという。

Next Contents

Select language