精進落としの夜と遊女の人生

昭和の名残が残るアーケード街。権堂は、かつてこの地域で一番の繁華街だった。

アーケードを入って左に折れると、往生院という小さなお寺がある。善光寺は長い歴史の中で何度も火事にあっているが、本堂が焼けて建て直しをしている最中には、この往生院に本尊を祀ることがあった。当時は仮の堂のことを権堂と呼んだので、そのままこれが地名になったそうだ。

権堂には、歓楽街としての顔もある。江戸時代には水茶屋が立ち並ぶ花街として、お参りを終えた人たちが精進落としに立ち寄った。この時の精進落としは、無事にお参りできたことをねぎらい、酒やおいしい料理を口にすることを指す。そこには、遊女との一晩の遊びを楽しむ男たちの姿もあった。質素な暮らしを送る庶民たちは、精進落としにかこつけて思いっきり羽目を外していたようだ。

働く遊女たちにも物語がある。遊女たちは、芸の神様を祀っている往生院によくお参りをしたという。芸を磨く彼女たちが願ったのは、「遊女上り」、つまり遊女をやめること。その方法は、客と駆け落ちをした者もいれば、水茶屋の女将に上り詰めた者もいたそうだ。売られた身という悲しい運命にも負けず、自分の幸せを手に入れようとした女性たち。これも、女性にゆかりある善光寺の物語の一つだ。

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