苦しむ民衆に寄り添い続けた男性住職

大本願とともに善光寺を運営しているのが大勧進。大本願の住職が代々女性であるのに対し、大勧進では代々男性が住職を務めている。

大勧進にも後世に伝わる住職がいる。その一人が、江戸時代の中期に住職を務めた80代だ。彼が善光寺の住職となった翌年、日本史上最悪の被害と言われる浅間山大噴火が起きる。被災した村に駆けつけた住職は、その状況を目の当たりにし、ひどく心を痛めた。その村では、570人の村人のうち、477人が亡くなっていた。

嘆き悲しむ残された村人のために、住職は30日間ずっと一緒に念仏を唱え続けた。そして村人たちが必ず極楽へ行けるように、ハンコを押したお守りを授けた。石川五右衛門が盗んだあのお守りは、この時はじまったものだったのだ。

大噴火の数年後には、江戸時代最悪の大飢饉も起きる。住職は人々の心に寄り添うため、善光寺を整備し、誰もがお参りしやすくした。そして、現在の本堂ではじめて御開帳を行った。苦しむ民衆が仏様を身近に感じられるようになり、善光寺信仰はさらに広まっていったという。

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