風神雷神が刻まれたこの石は「ひさご石」や「宝塔」と共に、大阪の太閤園から移設されました。三重県で産出された伊賀石を使い、室町時代以降に作られたと考えられています。昭和33年(1958年)に記された『淀川邸記』に、この風神・雷神像が紹介されています。それによると「金剛力士像かと思えるが風神雷神、珍しい」とのこと。確かに有名な俵屋宗達の風神雷神図屏風よりも、剛健な力強さを感じさせます。
古くから日本では、農作物を育てるのに大きな影響を起こす自然現象を畏れ、それらを神として考えていました。代表的な強風と雷鳴はそれぞれ神格化され、農業の守護神である風神、豊作をもたらす雷神として信仰していました。
この風神と雷神が対となって芸術作品に登場するようになった起源は、中国から伝わった仏教美術である「千手観音二十八部衆像」だと言われています。そこで風神雷神は、千手観音の従者のような存在として登場しています。この庭園の風神・雷神像も千手観音様の手足となり、よりいっそう頼もしく雨風を整え、幸せをもたらしてくれることでしょう。

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