この宝塔は本御影石から成る鎌倉時代の作品で、大阪の太閤園から移設されました。元々は違う石造品だったものを組み合わせた「寄せ」という手法が用いられています。
太閤園は、藤田財閥の創始者である藤田傳三郎が造営を始めた邸宅庭園をルーツとしています。藤田傳三郎は、幕末明治から大正期にかけて、建設業や電力開発、金融などあらゆる業界での経営を手掛けた実業家で、美術品の収集家でもありました。
後に子どもたちに分割相続され、次男・徳次郎が引き継いだ「東邸」を中心とする東部が後の太閤園となりました。なお、長男・平太郎が引き継いだのがここ東京の椿山荘です。
昭和34年(1959年)、東邸の名称を「淀川邸」と改め、太閤園は開業しました。大阪を代表する料亭・宴会場として約60年の歴史を刻み、令和3年に閉園となりました。淀川からの水を豊かに引き入れた庭園で、飛び交う蛍を見守り続けたこの宝塔は、新たに椿山荘庭園のシンボルとなることでしょう。