「源氏が来たぞ!すごい数だ!」

平家が屋島を拠点として1年半が経とうとしていた。そのあいだに安徳天皇の内裏を築き、守りを固めていたが、その日ばかりは誰もが驚きを隠せなかった。源氏は嵐の影響で大阪の港で足止めされていたはず。それなのに対岸には大量の火の手が上がっている。これほどの大軍をどうやって?

平家は急いで逃走の準備をはじめる。安徳天皇を連れて舟に乗り込んだ平家ははたと気づく。屋島に上陸してきた源氏の数が思ったより少ない。「これなら戦える」と内裏に引き返したときにはすでに時遅し。内裏は火をつけられて炎上していたのである。

***

その内裏があったとされる場所が、この安徳天皇社である。

このとき、安徳天皇は6歳であった。幼くとも正式な天皇である。天皇がいる場所が都であるとすれば、このとき、京の平安時代が終わり、屋島時代が始まっていたと言っても過言ではないのかもしれない。

なぜ平家は屋島を拠点に選んだのか。諸説あるが、当時の屋島は四国と陸続きになっておらず、海に隔てられた離れ小島。要塞としてふさわしい場所だったのだ。そんな屋島の特性をいかして、平家は源氏に立ち向かうための軍隊を北の入江に配置。北から源氏が攻めてくると思い込んでいた。ところが予想に反して南の対岸に炎が上がった。それも大軍を思わせる大きな火の手に、平家はあわてふためいた。

それが源氏の大将・源義経の策略であるとも知らずに。

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