屋島に残る平家物語は、源義経や那須与一など、ほとんどが源氏を中心としたものである。
今も昔も、歴史は戦いの勝者が作る。いつの時代の戦いも、勝てば英雄として称えられ、負ければ戦犯として裁かれた。その事実は屋島の戦いに平家側の人物の名前がほとんど出てこなかったことにも通じる。
さて、この展望台からこれまで訪れた場所を見渡せるはずだ。パノラマ館の作者である保科豊巳氏もまたここからの景色を見て作品の構想を考えたという。天然のパノラマを見て、あなたは何を思うだろうか。これまでの物語を思い出してほしい。もしかすると、こう考える人もいるかもしれない。
「そもそも源平合戦は本当にあったことなのだろうか?」
実は、安徳天皇社のある場所に内裏があったという確たる証拠はない。継信の墓は江戸時代に作られたもので、駒立岩や錣引き跡、弓流しの跡についても本当にその場所なのか、勘ぐれば勘ぐるほど疑わしい点も出てくる。源平合戦があったのは平安時代の終わり。大昔のことなので残っていないのも当然のことではあるが、本当に屋島で合戦があったのかということさえ定かではないのである。
しかし、思い出してみてほしい。源平合戦の前から存在していた屋島寺は、屋島の戦いにも巻き込まれたはず。想像をたくましくすれば、平家が屋島寺を頼って屋島を拠点とした可能性もある。とすれば、幼き安徳天皇の住まいは内裏ではなく屋島寺だったのかもしれない。
しかし、平家の敗北が決定的となり、源氏が支配する世の中になると、平家に味方していた屋島寺も、源氏側につかねば生き抜くことができない。そこで、時代が進むにつれて、源氏の活躍をうたう平家物語にあわせて史跡を築いていったのかもしれない。
まずはじめに琵琶法師が平家物語を作った。そして、屋島にいる人たちが物語をふくらませた。平家物語とは全国各地の先祖代々の日本人が増築に増築を重ねた巨大建築のような物語なのかもしれない。だからこそ、おもしろい。現代を生きるあなたも同じように、展望台から屋島を見下ろし自由自在に物語を紡げる。訪れた人それぞれが想像をふくらませることができる。それが屋島における源平合戦の本当の楽しみ方なのかもしれない。