ここから見える山並みに古くからの山城がありました。小浜の水はこの山々から湧き出して豊富な恵みをもたらしてくれるのですから、神様のような権威が感じられたことでしょう。しかし、江戸時代になると、港の近くに小浜城が築かれます。その城下町として鯖街道の起点となる市場が整備され、商人たちが暮らす町として小浜西組が発展していきます。
時を同じくして、小浜でこれまで以上に大量の鯖が捕れるようになります。一晩で200本釣った漁師もいて、一塩して京都に運んだほか、干物にして江戸までも運ばれました。当時は両親の健康を願って鯖をプレゼントする風習が流行るなど、鯖は健康に良いものとして、長生きの象徴とされたのです。
そうして小浜の町が整うにつれて鯖街道は賑わい、京都との往来も増えていきます。鯖を京都まで運んだ人たちは、手ぶらで帰ってくるわけではありません。「京都では鯖をこんな料理にして食べているらしいぞ」と鯖寿司のレシピを持ち帰ったり、「京都には西瓜というものがあるらしいぞ」と試しに持ち帰って育ててみたり。そうして京都との結びつきがますます強くなっていくのです。