ここで道が曲がっています。なぜでしょうか。火事のとき火が燃え移らないようにするためなど、いくつかの理由がありますが、下丿町が新しい町であるからとも言えます。
宿場町になる前の熊川は40戸ほどの小さな村でした。それが宿場町となり200戸にまで拡大したのですから無理もありません。町が大きくなるにつれて西へ西へと宿場町が伸びていったのです。そうして、はじめは存在しなかった下丿町ができました。その証拠に今も下新町という名前のバス停があります。
下丿町には巡礼をする人たちの宿屋がたくさんありました。熊川宿は鯖街道の荷物を運ぶ中継地点であり、巡礼の旅の通り道でもあったのです。小浜から来る鯖売りは日帰りで家に帰りますが、巡礼をしている旅人たちは熊川宿で宿泊します。平和な江戸時代が続くにつれて巡礼者は増えていき、3日間で1000人が泊まったという記録もあります。そのころは街道を横切るのも難しいほど賑わっていたことでしょう。
最後に、ここからまっすぐに伸びる下丿町を見通してみましょう。道のりがカーブしている中丿町や上丿町とは違った美しさが下丿町で見られます。