荻野家住宅は熊川でいちばん古い建物。注目は「母屋+付属屋+蔵」の3点セット。この3点セットが熊川らしい問屋のカタチです。荻野家は問屋の最前線で人や牛馬などを手配していました。

振り返ると松木神社が見えます。かつて、年貢を納める蔵があったこの場所には、とある物語が残されています。

関ケ原の戦いが終わり、若狭の領主となった人物は小浜城を築くにあたり、年貢の増税をしました。戦国時代が終わったばかりで、ただでさえ生活が苦しい。そこに追い打ちをかけるような増税に領民たちは反対の声を上げました。しかし、却下。「城が完成するまでの我慢だ。」そうして長い月日を耐え抜き、やがて天守閣のそびえる小浜城が完成しました。

しかし、それでも増税が据え置きにされたのです。「話が違うじゃないか。」領民たちは一致団結して税の引き下げを陳情。しかし、却下。それでも、あきらめずに嘆願を続けること9年。代表者は次々と投獄されていき、ひとりふたりと同志が減っていく。それでも、最後まで諦めない男がいました。それが松木(まつのき)庄左衛門でした。役人たちの脅しにも屈せず、たったひとりになっても強い意志で嘆願を続ける日々。そして、とうとう磔に処せられて、松木さんは28才の若さでその生涯を終えました。しかし、その命と引き換えに奇跡が起きます。悲願であった税の引き下げが決まったのです。

「松木さんのおかげだ。」領民たちは感謝しましたが、罪人として処刑された松木さんを表立って偲ぶわけにはいきません。松木さんのお墓が作られたのは事件から100年も後のこと。それも、墓碑の表ではなく裏側に小さな文字で松木さんの名前が刻まれました。今のように堂々と松木神社が建てられたのは昭和になってからのことでした。

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