この場所には、かつて松本城の正門である大手門があった。大手門から見て天守側が武士のまち、南側が町人のまちと境界線が引かれており、簡単に侵入できないよう番所が設置されていた。そのため、御用商人など許可された一部の町人を除いて、明治時代になって初めて、町人は大手門をくぐり、かつての武士のまちに足を踏み入れることができた。
門の前面には桝形という広場が設置されていた。枡形とは、正面から敵が直進できないように作られた防御施設だ。敵軍を足止めできる仕組みだ。この大手門桝形に加え、周囲は総堀に囲まれていたため、城郭は鉄壁の防御態勢を誇っていた。
善光寺街道は、南から大手門に向かって真っすぐ延びてきて、女鳥羽川の先で東に折れ曲がり、その後城の東側を北へと伸びている。大手門の南東部の女鳥羽川との境界に、「縄のような長い土手」の形状から縄手と呼ばれた場所がある。では、次に縄手通りに行ってみよう。