なぜ工芸のまちといわれるのか?


ここ中町通りは、主に酒造業や呉服などの問屋が集まって繁盛してきた通りだ。漆喰でつくられたなまこ壁の土蔵が今も多く残っているのが特徴だ。もともと火事の多い場所であり、江戸時代末期と明治時代に大きな被害を受けた。長野県が家を建てる際は、瓦や土壁など耐火性の高い建物にするよう法令を出したことで、蔵が増えたのだ。



現在の中町は、「ちきりや工芸店」「松本民芸家具」など民芸品や工芸品の店が多く立ち並び、一種独特の街並みを形成している。「有名なアーティストによる高価な作品よりも、無名の職人が作る生活用品にこそ美がある」として柳宗悦が提唱した民藝運動に感化され、1946年に三代澤本寿、丸山太郎らが中心となり、松本に日本民芸協会長野県支部を結成。家具や木工、手織物業の振興を行ったことで、松本が民藝のまちとなった。



もともと木材が豊富で条件に恵まれていたため、多くの手仕事職人が住んでいた松本は、様々な工芸品が作られ、「工芸のまち」として発展してきた。現在の「工芸の五月」、「クラフトフェアまつもと」に繋がっている。

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