ここは伊織霊水、豊富な水が湧き出る井戸だ。この井戸は、すぐ隣にある江戸時代の武士・鈴木伊織の墓の名からこう呼ばれている。霊水の横に石碑が2基建っている。向かって右は小里頼永市長の筆による顕彰碑、左側の碑は伊織の墓と伝えられるものである。
鈴木伊織には逸話が残っている。江戸時代の1686年、不作が続いていたにも関わらず、水野家3代藩主忠直が農民に年貢の負担増を課したことから、農民たちは団結して大きな百姓一揆を起こした。その際に、死刑はあまりにも厳しいと伊織は助命を訴え、死刑の中止の許しを得た。しかし、江戸から全速力で馬を走らせるも、処刑には間に合わず、農民たちの命を救うことはできなかったという伝説が残っている。
伊織は農民たちに大変支持されていたと思われる。その名が刻まれたこの井戸には、今も多くの人々が水を求めてやってくる。