観音堂には1400年前に漁師が拾った観音像がある。いつの時代も人々はそれを拝みに来ているのでした。

観音堂に入る前に、まずはお香の煙を浴びよう。そして、浄水で手を洗って口をゆすぐ。やりかたはこうだ。この儀式には身を清める意味がある。そして外から向きあう観音堂。大屋根にある瓦は軽くて丈夫なチタン製。「志ん橋」と書かれた提灯は東京都新橋にある料亭や芸者が奉納したものだ。

中に入ったら、天井を見上げることも忘れずに。気付かない人も多いのだが、あわせて19畳にもおよぶ巨大な天井画が描かれている。

正面の「施無畏」という文字は観音様の名前。「不安や恐れから救う者」という意味がある。両脇にある「佛身圓満無背相」「十方來人皆対面」は、「どこから来たどんな人でも分け隔てなく救いの手を差し伸べますよ」という観音様からのメッセージ。

右奥から、さらに内側に立ち入ることもできる。畳100畳の大広間の中央に、きらびやかな厨子=箱がある。箱を取り囲むように道があるので、裏側からも見てみよう。ここに、ひとつの観音像がある。合唱して「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」と唱えよう。それだけで、たちどころに願いが叶うと言われている。

しかし、 それは ご本尊ではない。

箱の裏側にある観音像は、漁師たちが拾った観音様=ご本尊ではない。では、どこにあるのだろうか。

浅草寺には、年に一度だけ箱の扉が開く日がある。12月13日午後2時。そのときに限って箱の中にある観音像を拝むことができる。しかし、である。それもまたご本尊ではない。「お前立」と呼ばれる、ご本尊を模して作られたものだからだ。

では、実物はどこに? 実は、同じ箱のさらに奥深くに漁師たちが拾った観音像があると伝えられている。というのも、その観音像を見た人がいないのだ。1300年以上前から「秘仏」とされ、見ることを禁じられている。そのため、住職すらその姿を拝んだことがないのである。

ほんとうに実在するのだろうか? そう疑うのも無理はない。

しかし、「見た」と言う人がいる。明治時代に政府は「神仏分離令」を出した。これは寺と神社を切り離す、つまり、仏教と神道を分ける法律だ。そのとき、政府の役人が「ご本尊を見せろ」と住職に迫ったという。
住職は箱ごと役人たちに預けた。別室で箱を開けた役人たちは確かに見たという。その報告書にはこう書いてある。「木造の観音像でかなり大きい。それに、手足がずいぶんと傷んでいる」しかし、役人たちは1年と経たないうちに次々と謎の死を遂げたという。

どこまでが本当なのか。物語はそこに隠されているのかもしれない。

Next Contents

Select language