移民を受け入れ、土地を拡げてきた水の都 多様な文化を生み出す、彼岸の町・深川

《Traveler’s eye》

美濃屋で極上の朝ごはんを頂いた後、スタッフの女性が差し出してくれたショップカードを頼りに、隅田川の方向へ歩き出す。

海が近いせいか、呑気なゆりかもめが欄干に鎮座している。
近くのベンチに腰を下ろし、爽やかな風を浴びていると、この地の物語を知りたくなる。

これから、どんな1日が始まるのだろう。
立ち上がり、レンタサイクルalohalocoへ向かいはじめる。

Travelerから、Neighborへ

土地にまつわる物語を知りたければ、地元の人たちに話を聞くといい。
この町の隣人たちの散歩道でもあるこの場所に通っていると、
自然と話をする機会も生まれて、この町の歴史にも詳しくなるだろう。

《Neighbor’s eye》

美濃屋で極上の朝ごはんを頂いた後、
ゆりえさんが差し出してくれたショップカードを頼りに、隅田川の方向へ歩き出した。

海が近いせいか、呑気なゆりかもめが欄干に鎮座している。
さて、しばらく近くのベンチに腰を下ろし、
爽やかな風を浴びていると、この地の物語を知りたくなる。

こんな話を聞かせてもらった。

ここは、1500年年代まではなだらかな干潟だった。
しかし1603年、徳川家康が江戸入城してからの400年の間、
日本各地から船で運ばれる食料、物資の供給地として小名木川をはじめとした水路と貯蓄倉庫が並ぶ物流拠点へと様変わりする。
それが、深川のことはじめである。

江戸の城下町には日本各地の大名、旗本の屋敷が打ち立てられ、諸国から大名家一族が集められたために、人口は急激に増加した。
さらに当時の家屋は木造だったため、一度火事が起こると都市の大部分が延焼してしまうという大惨事も度々起こった。

中心部の過密集を避けるために、目をつけられたのが隅田川の対岸。
まずは武家屋敷が本所と呼ばれる、現在の両国界隈に移された。
武家屋敷の本所に対して、商人など様々な町衆が入り混じる
森下・清澄白河・門前仲町の一帯は深川と呼ばれた。
深川には、水路で江戸に商材を運ぶ大商人屋敷や、その使用人である町人長屋
寺社仏閣とその門前町が立ち並んでいくこととなる。

しかし、当時は隅田川を渡ると別の国であり、
「河を渡る」ということは「あの世、異世界に行くこと」の喩えでもあった。
辺鄙な場所への引越しを余儀なくされた武士の不満を和らげるために、門前仲町に富岡八幡宮、亀戸に亀戸天神を置いたことをきっかけにその門前仲町には賑やかな仲見世が並び、興行相撲が開催され、料理屋や遊郭が軒を連ねた。
とくに深川の岡町は最盛期には浅草・吉原と並ぶ賑わいを見せ、男装の麗人・辰巳芸者たちは粋と気風の良さをウリに人気を集めた。

当代随一の学問所であり、文化集積地であった寺社仏閣。そして賑やかな繁華街。
さらに江戸の町に物資を供給する商人や職人などの、多様な住民たちが暮らしていた街・深川。
相互に影響を受けながら、特権階級である公家や武家のしきたりに囚われず、町人が自由に娯楽を供ずる江戸文化を醸成していったのだ。

世界最短と言われる定型詩・俳句を生み出した松尾芭蕉は、
この地に住まい、小名木川向かいの禅寺・臨川寺に修行に通った。
禅問答のなかで「かわず飛び込む水の音」の名句を生み出した。
また浮世絵絵師として名を馳せた、歌川広重や葛飾北斎は深川周辺の日常風景を多く残している。

浮世絵・江戸百景「安宅の大橋」を一瞥し、ふと目を挙げると右手にかかる新大橋──。
行政区分での安宅の地名は消えてしまったが、いまでも町内の人は祭りの半纏に「安宅」の文字を誇らしげに入れる。

そして、左手には小名木川の入り口にかかる萬年橋。

江戸からの風景と文化が日常に潜んでいるから、
Neighborsには根っからのクラフトマン、クリエイター気質が息づいているのかもしれない。

これから、どんな1日が始まるのだろう。
立ち上がり、レンタサイクルalohalocoへ向かいはじめる。

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芭蕉庵史跡展望庭園
住所:東京都江東区常盤1-1−3
営業時間:9:15am~16:30pm
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