江戸から続く大衆娯楽・大相撲と深川八幡”水かけ”祭り

《Traveler’s eye》

深川不動尊前の門前町脇小道を抜けると、すぐに「江戸最大の八幡さま」の看板が目に飛び込んできた。参拝道脇に自転車を停めて、境内に向かう。

境内には参拝客や近隣の幼稚園児らしき姿、サラリーマンの姿もちらほら映る。

凛として佇む御本殿に参拝した後、右奥に続く小道に「横綱力士像」という文字が。
向かうと、高さ3メートルを越えるであろう石碑が並んでいる。
横綱力士碑と書かれた中央の石版の両脇に、巨人のような力士の姿。
傍にある石像の手形は、横綱のものか──。

さらに境内を散策してみる。
横綱力士碑に続いて、大関力士像がそびえ、黄金に輝く一の宮神輿、ダイヤモンドやルビーを冠しているという絢爛豪華さに八幡宮と祭りを愛してやまない、地元民の気概が見え隠れする。
そして、日本全土を実地測量し、初めての実測による日本全図を作成した伊能忠敬像。

めくるめく下町文化の空気の濃さに軽く眩暈を覚えながら、八幡さまに一礼をして、門前仲町の表通りへと戻った。

Travelerから、Neighborへ

富岡八幡宮の深川八幡祭りは、江戸時代の初期から町中の人たちを熱狂させてきた。
3年に一度本祭が行われ、8月半ばの2日間、大小あわせて120数基の氏子の町神輿が担がれる。
その内大神輿ばかり54基が勢揃いして連合渡御する様はまさに圧巻。
水かけ祭り、の別名にふさわしく、沿道にはバケツや柄杓を持った観衆が並び神輿の担ぎ手に清めの水をかける。さらには神輿に向かい放水する消防車が現れるほど。

《Neighbor’s eye》

富岡八幡宮の境内で耳を澄ますと、祭りの喧騒が聞こえてくるようだ。

深川不動尊前の門前町脇小道を抜けると、すぐに「江戸最大の八幡さま」の看板が目に飛び込んできた。参拝道脇に自転車を停めて、境内に向かう。

ここは富岡八幡宮、深川っ子たち「八幡さま」と呼び、愛してやまない神社だ。
境内には参拝客た近隣の幼稚園児らしき姿、サラリーマンの姿もちらほら映る。

凛として佇む御本殿に参拝した後、右奥に続く小道に「横綱力士像」という文字が。
向かうと、高さ3メートルを越えるであろう石碑が並んでいる。
横綱力士碑と書かれた中央の石版の両脇に、巨人兵のような力士の姿。
傍にある石像の手形は、横綱のものか──。

江戸時代には相撲は勧進相撲と呼ばれ、寺社の修繕の費用を賄うための興行であった。
江戸では、ここ富岡八幡宮で勧進相撲が行われ、歌舞伎と並んで庶民の人気を集めたそうだ。
日本各地から浪人や力自慢、巨躰の輩が金と名声を求めて集まり、プロ集団を形成するようになったのもこの頃だ。
以降、両国・回向院、国技館が設立されるまで、相撲の中心はここ深川であり、いまでも新横綱が定まった際には、富岡八幡宮に参拝し、横綱碑に名を刻む儀式がある。

さらに境内を散策してみる。
横綱力士碑に続いて、大関力士像がそびえ、黄金に輝く一の宮神輿、ダイヤモンドやルビーを冠しているという絢爛豪華さに
八幡宮と祭りを愛してやまない、深川っ子の気概が見え隠れする。

そして、日本全土を実地測量し、初めての実測による日本全図を作成した伊能忠敬像。

境内には歴代の献上物や宝物を伝える、富岡八幡宮資料館もある。
江戸からの歴史を偲ぶ、前代一の宮の鳳凰像や狛犬、周辺の花街・遊郭の客見世、見物客が絶えなかった富士塚に牡丹園。
さらに祭りの様子を伝える浮世絵や古写真。
さらに寄贈された、伊東深水、竹下夢二らをはじめとした往年の名画家たちの直筆の絵画に至るまで。
最近、発掘された名品たちが資料館には並ぶ。
見応えある収蔵品の数々は、予約して行く価値ありだ。

めくるめく下町文化の空気の濃さに軽く眩暈を覚えながら
八幡さまに一礼をして、門前仲町の表通りへと戻った。

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富岡八幡宮
〒135-0047
東京都江東区富岡1−20−3
TEL:+813-3642-1315
URL:http://www.tomiokahachimangu.or.jp/
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