──護佐丸の祖先もそう。かつては今帰仁グスクの長であったが、クーデターにあい、命からがら落ちのびていた一族だった。

尚巴志とともにご先祖様のリベンジに挑んだ護佐丸は、このとき26歳。今帰仁グスクは難攻不落であり、正攻法では3000人の連合軍でも攻めきれず、内輪揉めを引き起こして内部崩壊させなければ陥落できなかったという。

自らも手を焼いた護佐丸は今帰仁グスクの築城技術に感銘を受けた。以後、6年間ほど今帰仁グスクで暮らした護佐丸は、日々、築城についての研究に没頭することになる。それがのちの座喜味グスクや中城グスクの築城に生かされているのは言うまでもない。

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