「あがっちょってテレビでも観よってー!」

お宅に伺うと、女性ドライバーの仲野さんは白いタクシーの運転席からそう言って、颯爽と走り出していった。それから10分と経たないうちに仲野さんのタクシーは帰ってきた。

「ごめんなさいね、ちょっと呼ばれてね」

この島にバスはない。唯一の交通手段であるタクシーは地元の人たちの足としても大忙しだ。帰ってきた「仲野さん」とは仲野家の奥さまのことだが、そのとき、すれ違いで出かける準備をしていた旦那さんも顔を出してくださって、絶妙な夫婦のかけあいがはじまった。



仲野さん:冬の日本海は海もしけるしねぇ。そんなとき病気になったらどうしようかと思うもん。知夫里でもヘリコプターが飛ばないときがたまにはあるじゃんな。

旦那さん:そういうときは死ぬ。島に生きとったらそれは当たり前だけん。ヘリコプターができてからは死ぬのがだいぶなくなった。手遅れがない。

仲野さん:20分ぐらいで本土まで飛んで行けちゃうんでしょ? 前はこっちのお医者さんが付き添いで出て行ってたりもしてたから、そのたびに無医村になっちゃった。今どきは、ここのお医者さんはここにおるけど、さらにドクターヘリで本土のお医者さんのところへ行くこともできる。

旦那さん:今の若い子はフェリーが着かなかったら不満をいうんだ。ワシらに言わせたら不満なんてとんでもない話。こんな離島で生きとったら、着かないのが当たり前でむしろ着いたら……

仲野さん:ラッキー?

旦那さん:そう、ラッキー。それくらいの認識でおらんかったらいかんのよ。島は。

仲野さん:まぁそうだけど、昔は船もねぇ、ちっちゃい船で。ちょっとシケても大変やったが? 着岸するとこもなかったし。湾の真ん中に入ってきて、「はしけ」で乗るんやったもんねぇ。ちゃぷちゃぷしたところからハシゴで乗って……よくあれで事故がなかったなぁと思うよ。

旦那さん:ないね。そういうのはみんな子どものころからずーっと教えられて生きとるから。「体幹」っちゅうのができるんだよ。よく都会の子どもたちを連れて海水浴させるけど、石の上をよう歩かんから這って進むんよ。こっちの子どもたちはぴょんぴょん飛んで行きよる。そういうところに差がついてきて……ワシ、話せばきりがないから帰ります。

仲野さん:「帰ります」ってどこに帰るんかい(笑)

旦那さん:いや、仕事(笑)まぁ聞いてやってください。こっちは都会から来た嫁やから、また違った感覚を持っちょるけん。

「その当時、埼玉から嫁に来るって珍しかったんだよ」

そう言い残して、仕事に出かけていった旦那さん。ぼくはそんな仲野さん(奥さま)にタクシーの仕事や島の暮らしについてお話を聞かせていただいた。

──どうして埼玉から知夫里に?

あの人が埼玉に来てたからよ。山下清みたいな放浪者でねぇ(笑)。ひょんなきっかけで知り合って、あれがすごくカッコよくみえたが(笑)。それから何年かは埼玉におったけど、子どもが小学校に上がるころに「ワシは長男だからいつかは知夫里に帰らないけん。お前も早いうちに慣れといたほうがいい」と言うんでUターン。

──知夫里に来てすぐタクシーを?

あの人は埼玉で建築関係の仕事をしよったから、こっちでもしばらくは大工さん。でも、タクシーやってた人が平成元年になる直前に辞めることになってね。だけん、うちが二代目というか引き継いだ。ちょうどあの人も大工の職業病に悩んどったし、村民もタクシーがないと大変と言うもんで。それからもう30年。先代は昭和44年からタクシーをはじめた言うけん、前の社長さんより長いことになるねぇ。

──前の社長さんはどうしてタクシーを辞めたのですか?

商才のある人だから、だんだん車社会になっていくのを見越してたんじゃないかなぁ。先代は島の人口が千何百人といるような時代からやってきて、うちが引き継いだときには千人を割ってたと思う。ほら、どんどん人数が減るってことは売上も減るが? そうでなくても、うちがタクシーをやるようになったころから車の免許を取る人が増えたの。ようは車持ちが増えたのね。だけん、わたしらもタクシーだけでは苦しいんで「岩ガキ(の養殖)」をはじめてねぇ。

──え、漁師さんでもあるんですか?

まぁ、ようやく商売の「商」の字がついてきたかなという感じ。それまでは手探り状態。養殖に失敗したり、販路も自分で拡張せないけんからね。最初は育てていたカキを魚に食われたりして、何万個と売れるはずが、売れるカキがなかったり。それからネットを張って魚の対策をしたり、試行錯誤を繰り返して、ようやくね。売れるようになってきた。

──どれくらいの時間がかかったのですか?

15年ぐらいかかってるんじゃないかなぁ。商売になったのは2、3年前からで、それまでは採算が合わんかった。そもそもカキは育てるのに3、4年かかるものだから。昔は養殖場も今みたいに密集してなかったから、3年で大きなカキに育って売れたりしてたの。今はみんなが育てているからプランクトンが足りないのかな。いいカキに育つのは間違いないけど、前より時間がかかる。3年が4年になってるからね。そうすると、最初に仕入れたカキの赤ちゃんが4年後に売れるわけだから、最初の4年間がきついよね。わたしらはまぁ、タクシーの収入が減ってきたころにカキの収入が増えてきたからプラマイゼロぐらいでやってこれたんだけど。

──これからはカキのほうにシフトしていくんですか?

わたしらも歳がきてるからねぇ。今もカキは少しずつ増やしてるんだけど、あの人はどうも後継者づくりのほうを考えてるみたい。自分ができなくなったときに誰かやってくれる人がいたらあげちゃってもいいかなって。「なんで増やすの?」といえば、後を継ぐ人のため。あの人はどうもそういうふうに考えてるみたい。

──旦那さんをずっと隣で支えてきたんですね。

わたしはタクシーやってるからカキの現場仕事はしない。そのかわり事務仕事の一切はわたし。

──まさに二人三脚ですね。タクシーのほうはどんな仕事ですか?

さっきは地元の人が役場に行きたいからって呼ばれてね。ほかにも買い物に行くとか、病院に行くとか、足を悪くして車に乗れない人とか、だいたい同じ人が利用してますけど。料金はメーターですからふつうです。観光のお客さんを乗せる場合は、隠岐で決められている料金があって「90分ならいくら」「120分ならいくら」ってパンフレットにも書いてあるんですけど、お客さんに「90分でお願いします」と言われたらその範囲でご案内しています。たとえば、11時半の船で知夫里に来て、13時の船で帰るとなると、90分ギリギリでしょ? それならそれでなんとか間に合わせるよう案内するという感じ。120分あれば気持ち的にゆとりが出てね、案内も少し細かいところまでできますね。

──どんなルートで島を案内されるんですか?

観光コースとしては、来居港から郡のほうに出て、赤ハゲ山に登って、島を見下ろしながら赤壁に降りる。そこからまた港に帰ってくるんだけど、途中で「ここらへんが役場、商店、病院とか、一応のものがそろう“知夫里銀座”ですよ」とかね、案内をしながらドライブしていきます。だから、わたし、しゃべりっきりになっちゃうの。知夫里島はちっちゃいから説明したいところが次から次へと出てきちゃうでしょ。あれはマグロの赤ちゃんを育てている場所で、あっちはカキを育てている場所で、あの島は牛が泳いで渡る島で……って。赤ハゲ山に向かう途中には車が近づいてくると道をあけてくれるお利口な牛がいるでしょう。そんな牛たちに「ありがとう」「いい子だねぇ」と声をかけながら放牧風景を楽しんで、赤ハゲ山に着いたらカルデラが見えるでしょう。その紹介をしつつ、のんびりとした風景から、赤壁に移動して今度は迫力のある風景に驚いてもらう。と、そんなふうにまわっていきます。ほかには神社めぐりしたいって言う人も多いですね。

──いちばん好きな場所はどこですか?

わたしはね、赤ハゲ山が大好きなんですよ。ちょっと疲れとってもね、なんにも考えないで、ぼーっとしてるだけでいいところ。赤壁もまた迫力あるしねぇ。海の色なんかもすごいでしょ、空が青くて、海が青くて、山が緑で、真っ赤な岩が映えるというね。わたしは午前中をおすすめしてるの。夕日を浴びた赤壁の写真はよくあるけど、午前中の東からの光のほうが真っ赤に見える。壁の凸凹もわかるしねぇ。夕方になると凸凹に影ができて黒っぽくなるから赤じゃなくなっちゃうの。だから、本来の赤さを見てほしいというのはありますね。

──刻々と表情が変わる島ですよね。

島後から島前に来る人はもちろん、島前だけ見てまわってる人でも、だいたい知夫里は後回しなのね。だから、最後に知夫里に来てくれて「来てよかったわ」っていう言葉を聞くのが本当にうれしい。「あやうく見逃すとこだった」という人が本当に多いんですよ。西ノ島から船に乗って、知夫里島の目の前を通過してそのまま本土に帰っちゃう。そういう人が多かったんですよね。でも、帰る直前になって知夫里に来る人もおるんです。昔はほかの島の人たちも「知夫里に行っても何もないよ」って言ってたらしいけど、15年ぐらい前になるのかな。ほかの島の人たちが知夫里の見学に来てくれて。それからは「お客さん、時間があるなら知夫里もいいとこですよ」って宣伝してくれるようになりまして。そいで、旅の最終日に朝の内航船で知夫里に寄って……ほら、朝の内航船で知夫里島に来たら90分後に本土行きの船にちょうどよく乗れるでしょ。だからね、そのコースで寄ってくれる人が増えてきた。そうするとね、「来てよかった、見逃すところだった」っていう言葉が聞けるんですよ。

──島を案内していて「今日は最高の日だな」と思うのはどんな日ですか?

やっぱり海も空も真っ青な日がいいよね。赤ハゲ山に行ったら360度、風景を見渡せるんですが、空と海の境の水平線も、ほんとうに真っ青な日は地球の青さや丸さもみんなわかっちゃう気がするんだから。「お客さん、360度っていうことは、水平線から登る朝日も水平線に沈む夕日も同じ場所から見えちゃうんですよ」って言うと「そういえば、そうだねぇ!」とか言われたりねぇ。

──そうか、確かに珍しい光景かもしれませんね。

そうそう。「自分の住んでるところが丸見えっていうのもいいものですよ」とか言ったりね。知夫里はもちろん、海士町がある中ノ島も西ノ島も、みんな見えるわけですから。だから、お客さんが辿ってきた足取りも知夫里に来ると見渡せるんですよ。「お客さんが来た船はカルデラの海を横切ってきたんですよ」とか「島々はこの内海の防波堤にもなってるんですよ」とかね。いろんな話ができるわけですね。天気が良くってしっかり本土が見えたり水平線が見えたりすると、わたしもテンションが上がっちゃいます。まるで自分の持ち物のようにね、自慢というか、誇りというか、自信を持って案内できるんですね。

──島に来た当初からそんなに島を好きになれたんですか?

島に来てかれこれ40年近くになるけど、最初はまるで違う環境なわけだからねぇ。商店にしても今みたいにいろんなものを取り揃えてなかったんですよ。当初は、姑さんやお舅さんと同居していて、ふたりは漁師をしてたんだけど、自分たちが獲ったものばかり食べるわけにもいかないでしょ。たとえば、イカを捕って来たなら違う魚が欲しくなるわね。でも、店に行っても何もない。料理を作らなければならないわたしは泣きそうでした。あとはやっぱり言葉ですかねぇ。話が通じなかったもん。「何語かしら?」って思うくらい。

──今はそんな感じしないですけどね?

今はね、年寄りのほうがよそから来る孫とか子どもにあわせていっちょるけん、だいたい標準語に近い言葉を使うようになってるけど、わたしが知夫里に来たころは根っからの知夫里弁っちゅうのが使われてたからねぇ。屋号と名字の区分けもできなくてね。カシマさんの屋号がヤマモトだったりして、ヤマモトって言ったらもうふつうの苗字でしょう?「ヤマモトさんっていう人から電話があったよ」って言ったら「どこのヤマモトだ?」って言われるけん、「ヤマモトって言えばわかるって言われた」って言ったら「ヤマモトったってカシマもヤマモトだわい」って言われて、もうわたしはちんぷんかんぷん。

──聞くだけでわけがわからなくなってきました。

こういう普通の会話もね、あの人がそばにおると聞けるけど、2回は聞けても、3回聞くと「バカか」って言われちゃうからね。だけん、電話は恐怖でした。電話の音が鳴ると「嫌だなぁ」と思ってねぇ。そんなだから、あの人とケンカしたときなんか怖かったですよ。方言の通訳もしてくれなくなるし、ほっとかれるからね。

──知ってる人がひとりもいない環境ですもんね。

だからね、そんなときは港のあのこう、船を繋ぐ……なんていうの、あれ。

──「ビット」というみたいですね。

あの鉄の岩みたいなのに座ってね、沖のほうを眺めながら「帰りたいなぁ」って、ポロリと涙したこともありましたよ。でも、近所の奥さん方がお茶に誘ってくれたりしてくれて。お茶だけじゃなくて、たとえば「サザエ拾いに行こうや」って海に誘ってくれたりしてねぇ。うちの姑さんとお舅さんは漁師と言ったでしょ? でも、サザエとかそういう貝類は採ってなかったから、わたしが採ってくると喜ぶわけですよ。おかずにもなるし。

──島ならではのコミュニケーションだなぁ。

そいでまぁだんだん慣れてきて。お大師参りの日には地区の集会所で仲間に入れてもらって一緒に料理を作ったり、冠婚葬祭も昔はみんな手作りだったからねぇ。最初は何をどうしていいかわからなかったけど、材料の切り方からいろいろ見ながらやったりして。本当はそれも最初は嫌だった。もうなんか自信がないからねぇ。だけどみなさんがね、こう仲間に入れてくれて。だんだん慣れてきてね。今はもうこっちの人みたいに扱ってくれてるからね。おかげさまで40年。わたしも知夫里の古だぬきになりかけて(笑)。今は不便なことはなにもないねぇ。



「恥ずかしいから写真はNG」と言いながら「島で唯一の女性タクシードライバーです」と笑う仲野さん。旅人であるあなたもタクシーを呼べばもれなく仲野さんに会えることでしょう。タクシーのご用命はぜひ下記の電話番号から。

知夫タクシー:08514-8-2458

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