2年に一度、7月の終わりに一宮神社のお祭りがある。その目玉が、芝居小屋でおこなわれる「村芝居」。

きっかけは、島にクジラが漂着するという事件が起きたこと。そして、その日を境に火事や流行病が続くようになった。「これはクジラの祟りに違いない」そう考えた島の人たちは神様を鎮めるために少年たちの手踊りを奉納した。これが神事となり、芸術的、芝居的に進化。歌舞伎も取り入れられて、現在の村芝居となった。

芝居小屋は、正面の扉を開くと舞台となる。現在の演目はこうだ。「島前神楽」からはじまり、女生徒による「浦安の舞」、そこから有志の出し物が順番に続く。ラストは少年歌舞伎「白浪五人男」である。

とはいえ、歌舞伎と聞いて想像する雰囲気とは違う。観客は見知った島の人たちなので、みんなが子供らにヤジを飛ばす。「もっと声はれ!」「お前はどこの子だ!」とか、芝居がキマれば「ヨッ!」「いいぞ!」などと、子供たちがセリフを言うたびに合いの手が入る。島の大人も過去に同じ舞台を経験しているので、セリフに詰まった子供の代わりにセリフを言ってしまう人もいるという。

子供たちは村芝居の前に1ヶ月ほど特訓を重ねているが、ヤジに動揺しない練習もあるという。「なんてヒドイ大人たちだ!」と思う人もいるかもしれないが、それをふくめて村芝居。歌舞伎に出ることはひとつの「度胸試し」であり、知夫里の子供たちの成長を願う行事でもあるのだった。

島には高校がないため、中学を卒業すると、全員が島の外に出ることになる。そのまま大学に進学、就職して戻ってこない生徒も多い。だからこそ、中学生のうちに島の文化を教えておく。村芝居が今日まで途絶えていないのは、それによって後継者が保たれているからだろう。

村芝居の白浪五人男、その最後のセリフではこの島独自の言葉が添えられている。

 日本海の別天地 隠岐郡なる 知夫里島
 由緒も深き一宮 花の舞台に古きより
 今は彼岸の御贔屓筋
 名残も尽きず今宵また
 都お江戸の伊達男 白波五人の揃い踏み
 氏神様の 大前にて
 晴れて寿ぐ 千秋万歳
 ふたたび出逢う その日まで
 いづれも方々 幸せ祈り奉る

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