後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒幕しようとする計画が露見したことで島流しとなり、仁夫に上陸した。そして、赤ハゲ山の途中にかつて存在していた「仁夫里坊」と「宇類美坊」、この2つのお寺で暮らしていたといわれている。

その後、島を脱出した後醍醐天皇は再び倒幕へと行動を起こす。そして、鎌倉幕府を倒し天皇の座に返り咲いた。しかし、功労者であった足利尊氏をないがしろにしたことで反乱にあい、吉野に逃れる。足利尊氏は別の天皇を擁立して京都で室町幕府を開いたが、後醍醐天皇も自身が天皇であることを主張して吉野で朝廷を開いた。これが南北朝時代のはじまりである。が、やがて後醍醐天皇が亡くなると南朝は弱体化して、北朝に降伏した。

後醍醐天皇はこの地に足を踏み入れたとき、どんなことを思っていたのか。想像をふくらませてほしい。

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