力士にふさわしい大きな墓石である。この石はどこから持って来たのか。
実は、知夫里にはたくさんの古墳があるが、この石はなんと古墳の横穴をふさぐのに使われていた「大石」ではないかといわれている。
知夫里は狭い土地をなんとか耕しながら、舟を漕ぎ、魚を捕まえて生活してきたような島である。日々の暮らしに体力が求められるため、相撲が盛んになるのは必然。島前、島後の対抗戦もおこなわれ、各地区に自慢の力士がいたという。
そんなわけで、島にはたくさんの力士のお墓があるのだが、一宮神社の階段横に「万力米吉」の墓石がある。万力米吉は、その名に違わず怪力で、隠岐はもちろん出雲のほうまで土俵荒らしに行ったほどの猛者。あまりの強さに驚いた本土の人たちは、なんとか米吉をやっつけようとプロの相撲取りを呼んで対戦させた。すると、さすがの米吉も歯が立たずに負けてしまった。それがもとで米吉は25歳ほどの若さで亡くなってしまったという。