知夫里では昔から「牧畑」が盛んであった。
牧畑とは、放牧と畑をかねること。たとえば、土地を4つにわけて、牛のエリア、麦のエリア、大豆のエリア、粟や稗のエリアなどとする。それをローテーションしていくことで、あるひとつのエリアにしてみれば、牛の糞を飼料にして麦を育て、残りの栄養で大豆を育て、そのまた残りの栄養で粟や稗を育てる。そして、また牛を放牧することで土地を休ませる。という無限ループで畑を続けることができるのだ。実際はもっと複雑なローテーションがなされているが、とにかく牧畑は知夫里島のような狭い土地を有効利用するにはぴったりの方法だった。
この地にある「名垣(みょうがき)」は、そうやって土地を分けていたときの境目。展望台の向こう側までゆうに2kmは続いている。が、現在は「牧畑」が行われていないため、牛をシーズンごとに放牧する境目となっている。