1200年ごろに知夫里島に流された人物の中に「文覚上人」がいた。
文覚上人は自分を島流しにした後鳥羽上皇を呪いながら暮らしていたが、あるとき、知夫里の友人にこう言った。
「今から西ノ島の洞窟で修行をしてくる。が、知夫里に帰って来ることはないだろう。毎日、狼煙を上げるようにするから見守っていてほしい。もしも狼煙が上がらない日があったら、それは、私が死んだときだと思ってくれ。」
託された友人は、知夫里の丘から狼煙を見ては文覚上人の無事に安堵した。が、ある日、ついに狼煙が上がらない日がやってきた。急いで西ノ島に駆けつけてみると、文覚上人は正座で合掌したままの姿で亡くなっていた。遺体を引き取った友人は知夫里に戻り、文覚上人が修行していた西ノ島の洞窟が見えるこの場所にお墓を建てた。
それからまもなくのこと。文覚上人の呪いが通じたのかはわからないが、奇しくも、文覚上人を島流しにした後鳥羽上皇もまた隠岐に流されることになった。そして、その子孫である後醍醐天皇にも不思議なことが起こる──