南方熊楠。一度聞いたら記憶に残る名前です。ギリシャ神話に登場する神の名前のようでもあり、動物や植物につけられた学名のようにも聞こえます。とても日本人の名前には思えません。しかしそれが、彼の本名なのです。

南方熊楠記念館へようこそ。このガイドのナビゲーターを務めます、館長の谷脇幹雄です。


南方熊楠の名前は知っていても、彼が一体何をした人なのか、うまく言い表すことのできる人は少ないでしょう。ときには粘菌の研究者として。また、ときには民俗学者として。熊楠の関心の対象はあまりにも広く、その活動のすべてを一言で伝えることはとてもできません。ただ、ひとつ共通点があるとすれば、熊楠は「なにか」と「なにか」の境目、つまり境界線に目を向けていたようなのです。そんな南方熊楠が、生涯をかけて、境界線の向こうに解き明かそうとしていたものとは一体何だったのでしょう。このガイドを通して、そんな熊楠の視点の先にあるものを感じていただければと思います。

さて、エントランスの手前に大きな歌碑が立っていたことにお気づきでしょうか。《昭和天皇御製歌碑》……つまり、昭和天皇が歌った和歌が刻まれています。昭和37年(1962年)5月23日、この土地に再び訪れた天皇は、田辺湾に浮かぶ神島を見つめ、若き日に出逢った熊楠を思い出しておられました。昭和天皇御製の歌は数多く遺されていますが、歌の中にフルネームが登場する人物は、南方熊楠、その人だけです。

天皇御製の歌が詠まれた3年後の昭和40年(1965)4月1日、歌に登場する神島の見えるこの高台で、南方熊楠記念館は開館を迎えました。後ほどご案内する屋上の展望デッキからは、熊楠が暮らした田辺の町や、彼が標本を採集していた熊野の山々が見渡せます。

さて、和歌山の商家に生まれ、何の権威も学位も持たない一人の男。そんな熊楠が、なぜそこまで天皇に印象を残したのでしょうか。階段を昇った先に、その人物像を知る手がかりがあります。

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