熊楠は慶応3年4月15日(西暦では1867年5月18日)に紀州藩の城下町、和歌山で生まれました。父親は金物商の商人です。熊楠という名前は、「子守り神社」として信仰されていた藤白神社から授かったものです。藤白神社は、熊野信仰の道中にある王子社のひとつで、境内にはご神木の大きな楠があります。熊楠の兄弟の名前には、藤白の「藤」、熊野の「熊」、そして「楠」のいずれか一文字が使われていました。「熊」と「楠」の二文字が使われたのは、兄弟でも熊楠一人だけでした。
熊楠の家は、本人に言わせれば「和歌山で第一番の金持ち、和歌山県にて第五番といわれる金持ち」だったそうです。しかし、父親が婿入りした当時には没落していました。苦労して一代で事業を立て直した父は、子どもたちに倹約の心構えをたたき込んでいました。本を自由に買ってもらえなかった熊楠は、近所の家をまわっては、当時の百科事典《和漢三才図会》を見せてもらい、自分の知識にしようと読みふけったのです。
三才とは天・地・人のことで、宇宙に存在するすべてのものを意味しています。解説は漢語、つまり漢字ですべて書かれているのです。熊楠がこの百科事典を写し始めたのはなんと、8歳のときでした。その膨大な筆写帳が残っています。この筆写の営みは、彼のその後の人生を支える基盤となっていきます。