帰国した熊楠は、那智の森にこもって標本を採集するようになりました。明治38年(1905年)の暮れ、採取した標本47点を大英博物館隠花植物研究部門のマレーに送付しました。マレーは熊楠が帰国する日に、日本での隠花植物の調査を勧めた人物です。標本を送ったとき、マレーはすでに退職してしいましたが、幸運にもこれが粘菌研究の世界的権威アーサー・リスターのもとへ転送されました。リスターは熊楠の標本を高く評価し、交流が始まりました。日本の粘菌をもっと送ってほしいというリスターの依頼に答え、海を渡った標本は450点を超えます。そのうち、10種類がリスター父娘によって新属または新種であると報告されました。自宅の柿の木の幹で発見した粘菌に、リスターは熊楠の姓にちなんで《ミナカテルラ・ロンギフィラ》という学名をつけました。

熊楠は、日本に分布する粘菌のすべてを採集しようという野心を持っていました。昭和2年(1927年)には「現今本邦に産すと知れた粘菌種の目録」を発表しています。この目録に掲載された粘菌は196種。当時、全世界で発見されていた粘菌は300種であったことを考えると、熊楠が粘菌にかけた情熱のすさまじさがわかります。

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