ここで時を少し遡り、民俗学者・博物学者としての熊楠の姿も見てみましょう。
《十二支考 腹稿》は、新聞紙の裏に書かれた熊楠のアイデアスケッチです。熊楠は大正3年(1914年)寅年の正月、雑誌『太陽』に「虎に関する史話と伝説、民俗」を発表しました。46歳のその年から10年間にわたって、『太陽』の正月号をその年の干支にちなんだ論考で飾るようになったのです。これが『十二支考』です。
古今東西の文献を縦横無尽に参照して書かれたこの論考は、多くの場合、その動物を呼ぶ世界の名称から始まっています。そして、実物はどのような動物であるか、人間との関係や神話……といった具合に話題は広がっていきます。この構成は、幼い日に熊楠が書き写した『和漢三才図会』の項目とよく似ています。さらに、熊楠の幅広い知識を支えたのは、ロンドン留学時代に大英博物館で書き写し続けた数多くの書籍でした。『十二支考』は、東洋と西洋を混ぜ合わせた比較文化学の試みであるとも言えます。
寅年から始まった論考は、最後は牛で終わる予定でしたが、牛だけは未完のまま発表されませんでした。あまりにも話題が多すぎて、まとめきることができなかったのかもしれません。