外宮の神域に、一人静かに歩きたい小径がある。参拝を終えて、神馬が休む御厩に差し掛かったところで小さな横道がある。真っ直ぐにのびるこの空間を見過ごしてはいけない。緑の中へ吸い込まれるように先へと歩いていくと、深い静寂の中に清々しい大気が満ち、鳥の鳴く声が心地よい。森の匂いを全身に浴びる参道には、ゆっくりと佇んでいたい安心感もあるが、人を寄せ付けない威厳もある。何百年もの時を重ねてきた神域では、杉や楠の大樹こそが番人であり、おたから。この森厳が神々がいる雰囲気を漂わせる。厳かな気持ちでしばらく進むと、ヒノキ造りの小さな社が見えて来る。

その社こそが、度会国御(わたらいくにみ)神社。祀る神は地元・度会の国の守護神。一説には外宮が鎮座されるその前から、祀られていたのではないかといわれるほどに、その由緒は古い。

社殿の横には空白の敷地がある。正宮や別宮の遷宮と同じく建て替えのための場所だ。神さまに常に瑞々しい場所にいていただくために、人知れず修繕と造替が繰り返されていて、建て替えのときは、諸々の祭りと行事を伴って行われている。祭典に因んだ話をもう一つ。神宮の祭りで「五大祭(ごたいさい)」と呼ばれる重要なお祭りは、125社全ての宮で執り行われる。度会国御神社にも神職が参向し、粛々と奉仕する。玉砂利を踏む神職の履物の音が、ザクザクとこの緑の参道にこだまする。

度会氏という姓をいつ賜ったのか、はっきりとしたことはわからないが、この土地を治めていた磯部氏の出だといわれ、「わたらい」は「複数の人が川などをわたりあう」がもともとの意味とされている。

古代から伊勢で勢力を持ち、外宮の神官を務めた度会氏であるが、「度会」は度会町や度会郡という地名としても馴染みがある。幕末の慶応4年(1868年)に置かれた度会府が、明治になって度会県となり、後に三重県に合併された。

歩き旅の頃、人々は伊勢へ参るには宮川を越えねばならず、神領の境界をなしたこの川には渡し船が列をなし、数多の参拝者が渡り合って外宮へと足を運んだ。そんな船がたくさん行き交う様子は「百船(ももふね)の度会」と呼ばれ、お伊勢参り盛んな江戸時代、美しい響きの百船は、度会にかかる枕詞だったという。

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