災害をくぐり抜けた看板が、店のルーツを伝える

できたてのパンに目移りしながら店内を抜けると、レジの後ろにその看板はある。力強い筆文字で「朝鮮飴」と書かれた、一枚板の大きな看板。懐かしさを感じる店内に馴染んでいるから見落としがちだけど、どうしてパン屋なのに「飴」なんだろう。

松石パンは、もともと明治21年に駄菓子屋として創業した。その後、日露戦争の際にロシア人捕虜のためのパンを作ることになり、パン屋としての歴史がはじまる。当時はパンと並行して、朝鮮飴も作り続けていた。つまりこの看板は、店のルーツを示す大切な宝物というわけ。明治時代の写真にも、この看板がはっきり写っている。

戦時中の空襲で熊本市が焼け野原になった時も、熊本地震で街が大きな被害を受けた時も、この看板は難を逃れた。度重なる災害を奇跡的にくぐり抜けて、店の歴史を今に伝えている。

今度は看板をじっくり眺めてみる。文字が少し色褪せているけれど、それがかえって力強い。

創業時の歴史を今に伝える看板の物語。松石パンの方々にとってさぞ大事なものなのだろうと思っていたら、店の歴史をよく知る先代の社長は「全然、誰も気に留めないよ」と笑う。現在の社長も、「自分が働き始めた時から掲げられていたものだから、あって当たり前の存在」だと、あっさり話す。

看板が由緒あるものだということは間違いない。それに、松石パンは熊本で一番古くからあるパン屋だ。夏目漱石が熊本に住んでいた時、ここでパンを買って食べたという逸話まである。でも、松石パンはそのことをこれみよがしに語ったりしない。それができるのは、今日も、パンを買いに来る大切なお客さんがたくさんいるからだ。お話を聞いている最中も常連の方が訪れては、パンをいくつも買っていった。そのたびに先代も現社長も、「ありがとうございます!」と、笑顔で感謝を伝える。

店の自慢は、ふかふかのコッペパンに自家製マヨネーズをたっぷり塗って、きゅうり、ハム、たまごを挟んだ「スライス」。このパンが生まれた当初から変わらない味で、この街の人に長く親しまれている。食べてみると、マヨネーズの新鮮さもさることながら、パンの甘さともっちりとした食感に驚く。先代の社長によると、「店の工場に棲みついている酵母菌がそもそも甘いんじゃないか」とのこと。朝鮮飴は甘くてもちもちしたお菓子だし、もしかすると創業当時のDNAは現在のパンにも受け継がれているのかもしれない。

ルーツはある。でも、それはルーツにすぎない。活気に満ちた店内にいると、今でも店が愛されていることが、かけがえのない奇跡なのだと思う。

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