殿様を救った奇跡の味が400年続く

熊本県民なら食べたことがない人はいないほどの郷土料理、からし蓮根。黄金色のソウルフードが誕生したのは今から400年前にさかのぼる。細川忠興の息子で初代熊本藩主、細川忠利は生まれつき病弱で、よく体調を崩していた。案じた側近が目をつけたのが、健康に効果がある蓮根。そうして、藩の料理人たちに蓮根を使った料理を作らせたという。

数々の料理人が腕によりをかけて作った中で、忠利が気に入ったのがからし蓮根だった。毎日のように食べ続けた忠利はみるみる健康になり、当時の大名の中では指折りの剣の腕前の持ち主に成長。当時の平均寿命を全うするまで健康に生きた。からし蓮根は病弱な殿様を救った、奇跡の料理なのだ。

このからし蓮根を作ったのが、森からし蓮根の先祖。本店の軒先に飾られているのは、細川家から拝領した皿だ。江戸時代、からし蓮根は細川家の専用食として門外不出だったという。それだけ大切に食されていた料理だから、森家への恩も篤いのだろう。そんなつながりを知ると、皿に描かれた九曜紋がなんだか蓮根の輪切りに見えてくる。

一般には見ることはできないが、森からし蓮根本店の2階には、細川家からいただいた宝物の数々がずらりと飾ってある。嫁入り道具だったという手鏡や、毎日の食事に使われた大きな米びつなど、その種類も豊富だ。

からし蓮根にまつわる品もある。製法を記した巻物を収めた箱、からし蓮根を献上する時に使った台。18代目の当主は殿様が食事に使ったという漆塗りの食器一揃えを見ながら「ここにからし蓮根を盛って食べたと聞いています」と教えてくれた。もちろん、その皿には金色の九曜紋があしらわれている。

そしてこうした細川家拝領の品だけでなく、代々同じ味を守り続けるからし蓮根のすごさも忘れてはならない。たっぷりの湯を沸かした大きな鍋で蓮根を茹で、麦みそと和がらしを混ぜたものを手作業で穴に詰めていく。そして衣をつけて、なたね油で揚げる。その製法は、400年前からほとんど変わっていない。

からし蓮根を作る店は他にもたくさんあるけれど、森からし蓮根ではレシピを変えないことにこだわっている。そこにあるのは、元祖ならではの意地だ。頑固に守り続けてくれているおかげで、私たちは400年前と同じ味を口にすることができる。奇跡の料理は、こうして今も続いているのだ。

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