明治末期からある料亭「三宜楼」。創業者は女性だ。彼女は生まれながら商才に恵まれていた。

当時の門司港は、小倉より人口が多かった。当然人の出入りも多い。若い彼女が、いかんなく才能を発揮できる環境が整っていた。

女性は木造三階建ての料亭を建てた。それが「三宜楼」の始まりである。

やがて俳優や俳人、「海賊」と呼ばれた男までもが「三宜楼」を通うようになった。門司港レトロを代表する料亭で、今日も多くの人々が三宜楼で舌鼓を打つ。

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