福州園
琉球王国の繁栄を支えた、名もなき英雄たち
中国と沖縄の知られざる関係とは?
「ここは異国だ」と、日本人である私たちですら沖縄に来るたびに思う。
空港に降り立った瞬間、沖縄の空気の匂いや肌に感じる湿度は本州のそれとは違う。外に目をやれば、山に生える木草の植生の違いが異国にいる感覚をさらに加速させる。
この感覚はあながち間違いではなさそうだ。というのも沖縄はもともとひとつの独立国家だったから。その国の名は琉球王国。約450年の間独立を守り、中国や日本と交易を行いながら栄えた国である。
いまあなたが訪れている福州園は日本には珍しい中華風庭園で、遠い昔に栄えた琉球王国の名残りとなる場所である。と言っても福州園は平成になってから建てられた庭園で当時の遺構ではない。しかし、琉球王国と中国の交流がなければ生まれなかった場所なのだ。
琉球と中国の交流において両国の橋渡し役となったのが、中国の福州から琉球に移住した久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)と呼ばれる人々だ。
彼らは福州園周辺にあった久米村(クニンダ)に住み、航海術や通訳の技術を用いて経済面から琉球王国の発展を支えた。いわば縁の下の力持ち的存在。
歴史を知らなければ福州園は単なる中華風庭園に見えるだろう。しかし、その背景を知れば異なる側面を見せてくれるはず。この福州園での短い旅が終わった後、あなたには国を支えた「久米三十六姓」の存在を強く感じているだろう。